幻の都『長岡京』をめぐる週末散歩

長岡京跡 散歩

あいにくの天気だった今年の10月3連休。

一日だけ晴れた日の週末、幻の都『長岡京』と、大阪を少し、街歩き散歩しました。

たった10年間の都『長岡京跡』の街を散歩

『長岡京』は桓武天皇が奈良の平城京から遷した都です。

という知識はあるけれど、他はほぼ知らない。

せっかくなので、歩く前に少し予習(復習か?)。

長岡京(ながおかきゅう)を少しおさらい

  • 現在の場所:京都市向日市、長岡京市、京都市一部
  • いつ遷都した:784年
  • 大きさ:東西4.3キロ、南北5.3キロ

後に続く平安京の基礎を作った都でしたが、10年の短い期間でさらに平安京へ遷都されました。

では、なぜ桓武天皇は、奈良の都『平城京』を、京都の『長岡京』へ遷したのでしょうか

  • 奈良時代、保護されてきたお坊さん勢の力が増してきた
  • 古くから続く豪族が力を持ちすぎた
  • 物資の運搬を便利にするため大きな河川のある地に都を遷したい

とにかく、旧勢力の力が強く、新しい政治を行いたい桓武天皇の障害となっていたようです。昔も今も古い政治の壁ってあるんですね。桓武天皇も今と同じ悩みを抱えていたわけです。親近感湧きます。

さらに、長岡京の地には桂川、宇治川、淀川という3つの大きな河がありました。

では、せっかく遷都した『長岡京』、さらに『平安京』へ遷したのは何故

  • 弟で皇太子の『早良親王』のたたりを恐れて

長岡京へ遷都するとき、平城京支持の勢力から強い反発で、遷都の責任者である藤原種継が暗殺されてしまいます。首謀者に挙げられた桓武天皇の弟で皇太子の『早良親王』はこれを不服とし、絶食で無実を訴え、死んでしまいます

『早良親王』の死後、桓武天皇にはたたりと思われる不幸が続きました。飢饉、疫病の大流行、皇后の死、后の死、新しい皇太子の病気など・・・。

『早良親王』の怨霊がたたったと考えた桓武天皇は、都を遷都することにするのです。

絶食して無実を訴えるなんて、強い意志を感じます、怨霊にもなるかもしれません。平安京へたどり着くまで、このように大変な歴史がありました。

JR摂津富田駅から散歩はスタート

JR摂津富田駅
JR摂津富田駅から散歩はスタート

さんざん『長岡京』を説明してきましたが、散歩スタートは大阪のJR摂津富田駅から。

以前訪れて休館だった『今城塚古代歴史館』を見てから、電車、徒歩で『長岡京跡』へ移動する散歩です。(ダンナさんのオリジナルコースなので、このような変則コースとなりました)

今城塚古代館
駅から歩いて15分の今城塚古代館

今城塚古代歴史館は今城塚古墳の隣にあります。この辺りはその昔、埴輪の製造が盛んでした。大規模な工房跡も出土している地域です。館内には古墳はどのように作られるのかが工夫され展示されています。無料なのに、内容盛りだくさんで素晴らしい場所でした。行かないともったいない。

今城塚古墳
当時と同じように再現した埴輪を並べた今城塚古墳

隣にある『今城塚古墳』は実は『継体天皇陵』であろうと考古学会では言われています。宮内庁指定の『継体天皇陵』は別の古墳に指定されていますが。

宮内庁指定ではないため自由に古墳に入れる公園として立派に整備されています。実際に中に入り様子を見られる天皇陵は日本でここだけ、貴重な古墳です。

今城塚古墳の埴輪
埴輪の祭祀場が再現され、190点の形象埴輪が並べられています

長岡京跡へ移動

今城塚古墳歴史館のあと、電車で阪急京都『西向日駅』まで移動しました。

長岡京跡
長岡京大極殿跡

長岡京大極殿跡は、駅から5分ほどの住宅地にひっそりとありました。平城京跡のように広く土地を残していませんが、確かにここが長岡京の中心跡地のようです。

このあと、

向日神社 → 元稲荷古墳 → 向日市文化資料館 → 竹の径 → 物集車塚古墳 → 淳和天皇御火葬場塚へと散歩しました。

向日市文化資料館がオススメだった

途中、向日市文化資料は『歴街カード』をもらいに立ち寄りました。あまり期待せず寄ったのですが、『長岡京』の歴史や生活の様子が丁寧に説明されており、とても勉強になりました。展示物の説明書きにスタッフの長岡京に対する愛をところどころ感じました。無料なのに、すばらしいですよ。

気に入った資料館なのに、写真を撮り忘れてしまい後悔しています。また行きたいです。

知らなかった穴場『竹の径』

向日市竹の径
整備された竹林が美しい『竹の径』

京都には嵐山に有名な『竹林の道』がありますが、実は向日市にも『あるきたくなるみち500選』に選ばれたすばらしい竹林とその環境を保全するために整備された『竹の径』があります。

全長1.8kmにもおよび、風情ある竹の風景が続く道です。

今回、初めて歩きましたが、人がほぼ歩いていないので、竹の径の世界を満喫できます。嵐山もステキですが、観光客でいつもいっぱいなイメージ。静かに景色を楽しみながら歩けるこの道の方がオススメではないでしょうか。

向日市観光協会『竹の径』

見つけにくかった淳和天皇御火葬場塚

歴代天皇の中で、唯一散骨された第53代淳和天皇。

火葬場塚が残っていると知り、見に行きました。

淳和天皇御火葬場塚
淳和天皇御火葬場塚の入り口

マップ上では、だいたいの位置がわかるけれど、入り口が見つけられない。散歩あるあるです。

宅地開発された住宅の間にひっそりと火葬塚はありました。

お昼はカトマンドゥカリーPUJAでカレーランチ

2週続けてカレーランチを食べました。

先週は「インド料理PUJA」、今週は「カトマドゥカリーPUJA」。似たような名前だけれど、味はまったく違う別々のお店でした。

カトマンズPUJA
カトマンドゥランチ1,210円、ラッシー付き。今城塚古代館から歩いて7分のところにありました。

ナンもカレーも美味しかったけれど、ラッシーが格別美味しいお店でした。街歩き散歩は、知らない美味しい店に出会える楽しみがあります。

しっかり予習したので、倍楽しめた週末の駅から散歩でした。

今回歩いたコース / 歩数 / 距離

今城塚古代歴史館 → 向日神社 → 元稲荷古墳 → 向日市文化資料館 → 桓武天皇皇后陵 → 竹の径 → 物集車塚古墳(もづめくるまづかこふん) → 淳和天皇御火葬場塚

28,331歩/ 18.4km

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